小説同盟(N-A)オンラインクリッ!
 殺人犯の女性の夢だとういうから、ケイツは何だかおどろおどろしいものを想像していたのだが、そこは真夜中の住宅街で、同じ色をした電灯が薄暗く家々を照らしていた。音という音がなく、人どころか、猫の気配すらしないので、まるで映画の撮影セットのようだ。空で満月が不気味に明るく輝いて、星の光を素っ気ないものに見せている。
 スタンの背後について、おっかなびっくり辺りを見回しながらケイツは歩いた。そして時々、スタンの奇抜な、そのベルトずくめの黒い「仕事着」をまじまじと見た。
「やっぱり、本物なんだなあ……」ケイツは思ったままを言って、それからその言葉にびっくりした。「あれ? おかしいな」おかしいな、と思いながら口をぱくぱくさせる。「あれ、心の中で喋るのって、どうやるんだっけ?」
「ここが『心の中』なんだから、思ったことがそのまんま出てくんのが当たり前だ」振り返らないでスタンが言う。「慣れりゃそのうち『心の中の中』みたいなもんができるから、適当にいろいろやってみろよ」
「心の中の中? む、難しいことを言うなよ……。こ、心のぉー、中がぁー、中をぉー」
 唸っているケイツに構わずに、スタンはどんどん進む。
「……そう言えばさ」ケイツが聞いた。「その衣装って、やっぱり想像なんだよね」
「ん?」スタンは立ち止まって、自分の身体に目を落とした。「ああ、まあな。白昼夢破壊師ってのは、想像が命。どれだけ他人の心の中でリアルに自分の思い通りの『想像』ができるかで、いい仕事ができるか決まるからね。訓練の一つだ。おまえも白昼夢破壊師になりたいんだったら、何か考えてみたらいいんじゃない?」
「なんかって、現実離れしてた方がいいのか? スタンみたいに」
「訓練にはなるな。そうだな、おまえなら――」スタンは笑って続けた。「あれどうだ? 股んところが白鳥のさ、バレリーナとか」
「なっなんでそんな、みじめで古くさいもの!」
 けらけら笑いながら、またスタンは歩き出した。ケイツは唸りながらまたついていく。
「あとさあ、白昼夢遊病になる原因って言うのは、『クリスタル』に何か異常があるからだから、それを何とかすればいいんだよね」
「そう。今回はクリスタルになんか黒いのがびっしりついてた。付着石《タタール》に似ているけど、何で黒いんだ……? まあ、それを取ればいい」
「クリスタルはたいてい、わかりにくい場所にあるから、『患者さん』を見つけ出して、カウンセリングみたいのをやって、リラックスさせて、場所を教えてもらうか――」
「それか、そいつが油断してクリスタルを出してくるから、それを一気にたたき直す」
「たたき直す、って……」
 すると、スタンは腰の脇のベルトのいくつかに通して引っかけていた、懐中電灯くらいの長さの細い、金属でできたような棒を引き抜いた。
「なんじゃそりゃ」ケイツが思ったまま聞く。
「俺の『仕事道具』」言いながら、スタンはその棒を横にして両手で端を握ると、一度目を閉じて、深呼吸をして、目を再び開くと、一気にそれを左右に引いた。棒は丁度真ん中で割れ、そして、ネオンのような青い光が、二つに割れた棒をつなぐように伸びて広がる。
「っな、なんじゃそりゃ!」ケイツが思ったまま叫ぶ。
 無言で歩きながら、スタンは両手に握った棒の半分半分を、それぞれ無造作にぶらんとぶら下げた。すると、青い光はちぎれるように曲線を描いて二つに分かれ、だらんと双方の握りの先から、垂れ流されるようにゆらゆらこぼれていく。彼はそれを見ながら立ち止まって、辺りをぐるりと見回した。そして、出てこねえな、と呟く。
「すごい! これ、おじさんっていうか先代スタナーの道具じゃないね!」スタンの前に回ると、ケイツは目を輝かせてそれを見た。「先代スタナーは『七つ道具』だったけれど、スタンのは何なの?」
 ケイツの様子を見て彼はふっ、と笑うと、すぐ真剣な表情に、というよりは不敵な表情になって、
「別に……名前は付けてないけど、とにかくこんな風に、のびるやつだ」言うと、軽く左右に「のびるやつ」を振った。それにつられて垂れている光もくねくね曲がる。そして、おもむろに両手親指を伸ばして、握りの先端近くにある、四角く小さな突起を同時にカチッと押した。その瞬間、バチバチッとまぶしく白い火花を散らしながら、空を切る音を立てて青い光が一直線に伸びきった。
「ぬおっ!」ケイツが変な声を上げて、「――ぬおっ、てなんだよぬおって」自分につっこんだ。「すげえ! 『スターなんとか』みたいだ!」
「これぐらいで驚いてるようじゃ、ついてけないぜ」
 スタンは言うと、二本の長剣のようなそれのボタンから指を離し、すぐ横の家に向かって十字に振りかぶると、片足で蹴り出して、たたみかけるように、のびるやつを素早く振り下ろした。解放された青い光が、火花を帯びながらしなって、勢いのついた状態でヒュッ、と塀へ叩き付けられる。轟音とともにコンクリートの塀が崩れ、その中へスタンが飛び込んでいった。「――本番はここからだ!」
 彼はそのまま、のびるやつを目の前の、二階建てで何の変哲もない民家にスイングさせた。反動でさらに勢いのついた光の鞭が、形が認識できないくらいの早さで家の壁に衝突し、爆発したような横に長い巨大な穴を開けた。一帯に突風が吹き抜け、ケイツは前髪を揺らしながらポカンと立ちつくしている。それを気にする様子もなく、スタンはのびるやつを今度は足下に叩き付けた。地面が大きく振動し、彼のいる家の庭に二つの小さなクレーターを作って、彼は一気に、電柱より高くジャンプした。そのまま、二本の伸びるヤツを頭の後ろに振りかぶって、落下とともに一気に家の屋根へ振り下ろした。言葉にしがたい破壊音とともに、無事だった部屋のガラスが全て吹き飛び、二階から一階まで、縦に大きな裂け目を作って、ぐしゃぐしゃな瓦礫が吹き出した。そして、スタンが平気なふうで着地して、のびるやつをピンと長剣に戻した瞬間、堰を切ったように民家は崩れだした。
「す、スタン……?」ようやく、ケイツが我を取り戻して声を出した。
「んー、何だ?」
「な、何やってるんだよ」
「何って、ぶっ壊してんだよ、この家」
「だって、……もし中に誰かいたら、どうするんだよ!」
「へっ、ここは夢ん中だぞ、忘れたのか? ここにあるものは全部、白昼夢遊病の人間が作った幻だ。人がいようが、何だろうが、大したことじゃねえ」
「でも……」ケイツは一度言いよどんで、また、「でも!」
「『先代スタナーは、そんなことはしなかった』」スタンが言った。
「……!」ケイツは何も言えなかった。
「今度は漏れてねぇよ。俺が推理しただけ」彼はケイツの方を向いて、にやっ、と笑って言い放った。「だから……、俺はスタナーだけど、スタナーじゃないんだって」
 そして、再びのびるやつを地面に振り下ろし、高く飛び上がると、隣の家へ、そしてまた隣の家へと、次々にのびるやつで襲いかかっていった。
「こいつは俺たちに気づいているはずなのに、何もこっちに仕掛けてこない! 自分のコントロールできねぇもんが入り込んできたら、普通嫌がって追い出そうとするもんだろ、でもこいつは違う! やり過ごそうとしてるのかはしらねぇが、そう言う時は!」
 無音だった夜の住宅街に、耳を貫くような音と、むせかえるようなホコリが広がり、砂山のようにして家々が崩れていく。ケイツから数十メートル向こうの塀を吹き飛ばして、スタンがその向かいの生け垣へ躍りかかる。
「――いやがおうでもしっぽを出してもらうんだよッ!」
 空を切る音と、焦げかかった生け垣の葉が舞う向こうへ、喜々とした表情でまた突き抜けていくスタンを見て、ケイツは一瞬寒気を覚えた。その姿、特に目は、人々を救っている人間と言うよりは、破壊の虜になった獣のようにも思えた。今のような表情は、今まで一度たりともケイツの見たことのないものだった。
 前方で、山折りの屋根が帽子のように外れてひっくり返りながら道を塞ぐと同時に、すぐ背後で爆発音が聞こえて、両耳を押さえながらケイツはうずくまった。
「うわぁっ!」
 ぱらぱらと頭上に降る残骸のくずに咳き込みながら、おずおずと左右を見回したケイツの真横で、スタンが彼を向いてしゃがみ込んでいて、また飛び上がった。
「ひい!」
「何だよ、びびってんのか? これくらいで」
「な、び、びびってなんかないじょん! 健全酢の物!」
「なんか言葉が変だぞ。ほら、落ち着け落ち着け」
 言って、腰の両脇にのびるやつを差すと、ケイツの両肩を何回かもんで、それから背中の襟を掴んでぐっとひっぱって立ち上がらせた。いきなり首が絞まって、ケイツはわけが分からなくなる。ぐえ、と彼の口から変な声が出た。
「ああ、そりゃ首じゃまずいよな……さっきどこ持って飛んでたんだっけ」
「ご、ごじだぼぼぼびびゃんず(腰だと思います)」
「あ、そっか」
 言ったのとほぼ同時に、スタンはケイツの綿パンのベルトを片手でぐいっと掴んで、もう一方の手でのびるやつを一つ抜いて、それで地面に鞭打つと宙を舞った。ケイツのすぐ足下にあった地面がぐんと小さくなって、切れてだらんと垂れ下がった電線や、明かりのついたまま折れた電灯や、見る影もなく壊された十件近い家々がミニチュアになる。
「うえ、と、飛ぶっ?」
 自分がベルトだけで支えられていて、もがいてみても、すがるところが何もないのに気づいたケイツは、
「おあ、おわあああああああああおわああああ」
 スタンと一緒に空中でアーチを描くたび悲鳴を上げた。
「この程度で怖がってたら、すぐに放出されちまうぜ! 早く慣れろ!」
 威勢良いスタンは、のびるやつの反動ではなく自分の足で蹴り返して、悠々とジャンプを繰り返しながら、のびるやつを眼下の建物達めがけてめちゃめちゃに喰らわせてなぎ倒していった。時折ヒュン、ヒュンとケイツの目の前を光の残像が通り過ぎて焼き付いて、なま暖かい風が吹き抜けていくので、ケイツは身を縮ませて震わせた。
「……これに慣れろって言われても……、……無理だ……」ケイツは本気でこれが夢なのか疑った。
「お」スタンののびるやつを振るう手が止んだ。「ほら、見てみろよ」
「え?」
「何か来たぜ、こっちに。それに、何か聞こえてきた」
「何かって……?」
 おそるおそるケイツが顔を上げると、空の遠く、油絵のようにつぶれてはっきりしない景色の向こうがうっすら白みがかってきていた。夜明けが近いような感じだ。そして、向かって左側、森や山が広がっている方角から住宅街の方へ、しぶきを立てながら、巨大な水の塊が空中を走ってきた。途中で少しずつカーブしてきていて、明らかに二人の方へ向かっていた。ザバザバと言うしぶきの音とともに、サイレンかなにかがグニャグニャな音程で鳴り響きはじめ、何かがきしむような音も混じっている。
「……でっかい、波?」その塊の形を見て、ケイツは目を点にした。「何で空中に波? 何で? どうやって浮いてんの?」
「だから、これは夢なんだって。都合なんかつかなくていいんだ」スタンは鼻で笑った。「俺たちを『押し流す』ことだけ考えてるってこと。――さて」そして、波のやって来た山林の方をじっくり見て、「ははーん、本丸はあそこか」
「『患者さん』がいるってこと?」
「そっ」
「それより、こ、こっちの波何とかしないと! わっ、予想以上にでかっ!」
 ケイツがじたばたしながら指さした先の波は、二人の背丈の数倍はあろうかという高さの頭をもたげたまま、ざっと数十メートルくらいの幅で真っ直ぐにじわじわ迫り、追いつめてくる。
「っていうかでかい! でかいってスタン! 逃げなきゃ! 死ぬってホント死ぬ!」
「逃げたって、向こうは追っかけてくるから無駄だぜ。落ち着けよ」
「落ち着けないぃっ!」真っ青になって首をぶるぶる振るケイツ。
「分かった分かった」ため息混じりにスタンは言った。「おまえを落ち着かせるのは諦めたから、しばらくパニックにでもなってな」
 そして、一気に住宅街の十字路に落下して、着地すると、今度は深く膝を曲げて片手をついただけで、地面を蹴り返さなかった。そのまま上空を見上げると、真っ白なしぶきの塊がごうごうと音を立ててあっという間に通り過ぎていった。
「……あれ?」道のど真ん中でしりもちをついた格好のまま、ケイツがポカンと口を開けた。「通り過ぎた」
「空中を走ってるんだから、そりゃ地面にいりゃ安全だろ? 小学生レベル」口の端を曲げて笑むスタン。「――けど、そううまくいくわけあるか」
「へ?」
 ケイツが言うより早く、スタンは再びケイツの腰のベルトを掴んで走り出していた。道を完全に無視して、山林の方角にある塀をのびるやつでたたき壊し、家をぶちぬき、
「ぎゃああああああああぁあああああぁああ」
 ケイツの再三にわたる悲鳴も完全に無視して、ひたすらに走った。とにかく目の前のものに、彼は長剣モードののびるやつ一本で切り込み、切り込むと言うよりは吹き飛ばし、ものが砕け散る音と木くずとよく分からないゴミが飛び散る。感じるもの全てがぐしゃぐしゃになりながら、ケイツは必死で踏ん張りようのない宙ぶらりんの身体を丸めた。
 またちらりとスタンの表情が見えたが、やはり、この上なく楽しそうに――笑っていて、ケイツは走っている時の自分の飼っている犬のことを思い出した。空き地でこっそり綱を離してやると、こんな感じで嬉しそうに走り回ったな、と思った。
 やがて、背後から、あの波の音がうなるように響いて、すぐ真後ろにまで水か迫っているのがケイツには聞こえた。スタンは息一つ切らさずに、めまぐるしい早さで建物に穴を開け、道に出、塀を壊して電柱をなぎ倒していく。揺れる身体で何とか振り返ると、水鉄砲を千倍単位で太くしたような強烈な水の噴射が建物の上から、地面の下から、真横から何重にも間一髪で突き出されているのが見え、すぐに振り返るのを止めた。
 そして、文字通り音の洪水にもかかわらず、あのサイレンのような音と、きしむ音が段々大きく、はっきりと聞こえてくるのがわかってきた。
「あー、やっぱり逃げるのはめんどい! やめやめ!」そう叫ぶと、スタンは突き破って脱出した少し広めの民家の庭で、のびるやつを振り下ろして一気に飛び上がった。それを待っていたかのように、飛び出したばかりの民家に開いた穴から、二人めがけてひときわ太く勢いをつけて水が噴き出し、一帯の地面に低く広がっていた巨大な水たまりの水を見る見るうちに吸い取っていきながら、先端が分岐していき、まるで手のように姿を変えた。大きさを比べると、二人がアリのようだ。
「続きましてもでかすぎだよ! 今度こそ駄目だあっ!」歯を食いしばりながら今にも目をつぶりそうなケイツをよそに、スタンはのびるやつのスイッチを切って鞭モードにすると、それを火花でバチバチ言わせながら、
「――無駄に、スケールのでかい抵抗」
 それをぶるんぶるんと振り回し、ちぎれるくらい光の長さを伸ばすと、息つく間もなく突きあがってくる「手」に向かって、落下しながら、
「――してんじゃあねぇよお」
 縦一文字に振り下ろした。そして、ぱっくりと開かれた「手」の切れ目に飛び込んで、切れ目ごと二人を潰そうと全方向から押し寄せる水に、
「――おおおおおおおっッ!!」
 力づくでのびるやつを振り回した。振り回して、振り回し続けた。「手」はのびるやつに幾度にも渡って大きく切り刻まれ、分裂し、ばらばらになり続けた。
 宙づりのケイツは、荒れ狂う水中で、歪んだ呼吸と視界を、スタンの姿と青い光の軌跡と爆音と水の焼ける音に埋め尽くされながら、それこそこれは夢みたいだとぼんやり思いながら、それでもはっきりあの二つの音に耳を澄ませていた。
(……この音……?)
 やがて、鈍い衝撃があって、硬い着地の感触がした。スタンとケイツが空を見上げると、サッカーボール大にまで小さくなった無数の水のかけらが周囲に大げさな音を立てて降り注いだ。スタンはにやっと笑い、ケイツは迫力に心奪われて中途半端な顔のまま、いくつかの巨大な水滴にあっけなく当たってしまい顔をしかめた。
 顔をぶるぶる振って水を払うと、スタンが、
「これだけ露骨に他人に夢をいじくられれば、精神的にこたえるはずだ。しばらく水攻めはないだろ」
「へえ……」ケイツはまだぼうっとしたままで頷いた。「……すごいね、スタン」
「そりゃどーも」彼はそれを、少し複雑な表情で見ていたが、すぐに自信満々なふうに戻って、またケイツをベルトで持ち上げた。
「わあっ、もういいってそれ!」じたばたして抵抗するケイツ。
「なんだよ、ちゃんと俺についてこれんのか?」
「小学生じゃないんだから! 背は……まあ、素晴らしい具合で低いけど?」
 すると、いきなりスタンはベルトを掴んでいた手を離して、ケイツは地面に情けなく落ちた。
「ひごっ!」彼は変な声を上げて、よろよろ立ち上がると、「何するんだよ! ……っていうか、ひごっ、はおかしいよ絶対」また自分につっこんだ。
「早く来いよ、もうすぐ森のそばに出る!」
 その間に、スタンは一人で、また進行方向のものを片っ端から壊しながら走っていた。ケイツはあわてて追いかける。
 踏む度メキメキがちゃがちゃと音を立てるスタンの破壊の爪痕を、スキップのできない人のようにぎこちなくケイツが走っていくと、スタンが道に出たところで立ち止まっていた。追いついてみると、もう目の前には住宅はなく、前方の左側を鬱蒼とした気味悪い森が、右半分で少し大きめの沼が、波紋すら広げずに大分明るくなってきた夜明け空をきれいに映していた。沼沿いに向こうまで住宅街が広がっている。
 そして、沼の端、二人の視界のど真ん中に、小さな白い鳥居が立っていて、そこから伸びた赤い木の橋の向こうに、古く色あせた小さな社が、水面に浮かぶように建てられていた。大きさこそ昔のタバコ屋ほどだが、屋根は荘厳な作りで風格がある。格子の向こうから、人影と、ちらちら揺れる暖かな光がこぼれて見えていた。
「炎だ」スタンが言った。
「炎?」ケイツが聞き返す。
「ああ。今まで家の明かりとか街路灯の明かりは見たけれど、ありゃあ全部電気だ。でもここだけ、炎で明るくしてる」
「神社っぽいから、普通そうなんじゃないの? まあ、こんなお賽銭箱の無い神社自体行ったことないけど……」
「ここに来るまで、物は散々壊したけど、人っ子一人出てこなかった。こいつが、街のと外っ面だけはとりあえず作れても、それ以上は『想像力』が追いつかなくて中途半端にほったらかしてた証拠だ。けれどどうだ、この神社、リアリティがあるだろ? おまけに中に人がいる――」
「そうか!」ケイツはぱっと霧が晴れたように言った。「あれが『患者さん』か!」
「ああ。多分な。――じゃあ、そーゆーことで」
「で?」
 スタンは答える前に、鳥居を通って橋を駆けて、社の前でジャンプすると、屋根と壁の境めがけて片手ののびるやつを横一文字になぎ払った。
「これも壊す!」
 光の鞭は社の奥まで届き、屋根を刈り取るように、ずたずたな切断面と木が無理矢理へし折られる悲痛な音を残して、壁の反対側へ通り抜けていき、そして文字通り、屋根がずれ落ちると、大きな水しぶきを上げて沼へ沈んだ。前方へ倒れる格子。消える炎の明かり。
「夢だけど――やっぱりばちあたりめ!」
 言ってから、ケイツは、サイレンときしみの音がこの社から発せられているのに気づいた。そして、この社からはもう一つ音が出ていることにも。祈りの声だった。低い、女の声。小さく早く同じ言葉をひたすら何度も何度も呟き続けている。
「奴ら一家がみんな死ね奴ら一家がみんな死ね奴ら一家がみんな死ね奴ら一家が」
 ケイツが、言葉の意味をはっきりと分かって、スタンに少し感じたものとは比較にならないほどの恐怖を感じて額に汗をにじませたのと同時に、その声が止んだ。ゆっくりと、声の主は正座したままで二人の方へ向きを正す。患者の女、マニラだった。髪型や、やつれた様子は同じだったが、どこにでもいる主婦のように、エプロン姿をしている。憎悪のこもった、鋭くて冷たくて熱い視線で、二人を突き刺した。
「……あなた達は、誰? そして、何故ここにいるの?」
 感情の押し殺された、ただし決して優しくない声で、ゆっくり彼女は言った。
 橋の真ん中まで歩いてきていたケイツが、緊張を隠せないうわずった声で、
「あなたが、『患者さ」
「初めまして、人殺し」
 言いかけていたのを、彼女の目の前で、スタンが吐き捨てるような言葉で遮った。
 女の目が、彼女を悠々と見下すスタンに殺気を帯びて向けられる。
「ちょっと、スタン、そんな……」
 戸惑うケイツをよそに、スタンは悪びれた様子も見せずにやっと笑うと、続けた。
「俺は――あんたを夢から引きずり出すためにここへ来たんだ、――『人殺し』」

*


「『夢から引きずり出す』?」マニラはふっ、と鼻で笑った。目はやはり笑っていない。「あなた、一体何のことを言っているの? 私が夢を見ている、とでも?」
「ああ、その通りだ。よく分かってるじゃん」足下に転がっている、折れた木の切れ端を池へ蹴飛ばしてスタンが言う。
「……馬鹿なことを言わないで頂戴。どういうつもりでこんな事をしているのか分からないけれど、ここは夢なんかじゃないわ、これ以上私の邪魔をしないで」
「ふーん、あんた、自分が正気だと思ってるんだ?」
「私はどこもおかしくない」
「ほほーう、自覚できない、と……」小馬鹿にするようにスタンは何度も頷いた。そして、のびるやつの片方を、真っ直ぐ伸ばして彼女へ向けた。「俺たちがこっちに向かってることが分かってて、追い出そうとしながら、自分はこんな趣味の悪い箱にこもって病気みてぇにネチネチと誰か呪ってるようなヤツが、正気ってことだな?」
 すると途端に、屋根が吹き飛んで吹き消されたはずの、祭壇に並んだろうそくが、一斉に火を灯した。由緒不明のきしみが耳に痛いほど届いて、ケイツの目に見える物の色がおかしくなってきた。空はステンドグラスのようにひび割れて多彩な色に分かれ、池の色は虹色に怪しく煌めき、向こうの木々は黒く染まって、音を立ててくねくねと勝手にねじれ始めた。驚いて辺りをしきりに見回すケイツをよそに、
「あなたには、私のことなんか、何も分からないくせに」
 怒りのこもった震えた声で言うマニラを、満足そうにスタンは見下ろして、
「――イっちゃってるヤツのことなんか、分かるわけねぇじゃん」
 彼女の目がかっと見開くのと同時に、スタンが素早く後ろへ飛び退いた。
 間一髪後で、彼の居たところに、ピンクと黄緑のまだら模様の、木の肌をした太い触手のような物が落下してきて、気味悪くうごめきながら絡み合った。社の角の柱の折れたところが変形して伸びてきている。
「ば、ばけものおっ」ケイツが狼狽して後ずさる。
 スタンを逃がしたと気づくと、マニラは憎々しそうに歯を噛んで、二本の触手は勢いよく、ケイツのところまで引き下がった彼めがけて飛び出してくる。スタンははじき飛ばさんばかりのそれを、引き締めたままののびるやつでそれぞれ受け止めた。足を踏ん張って、ぎりぎり歯を食いしばるが、触手は器用にのびるやつに巻き付き、スタンの手元へ届こうとしていた。すると、彼はのびるやつの光の刃をぶつけあった。激しいスパークが起こり、真っ白な火花が粉のように飛び散って、触手が激しく小刻みにけいれんする。
 のびるやつから触手を振り払うと、触手の上をいくつかの人型をした影が駆けてくる。触手は力無く左右に倒れ、橋の欄干を崩して垂れ下がり、人間大の青く塗られたわら人形達がスタンめがけて、包丁を手にしながら襲いかかってきた。その映像に向けて、緩めたのびるやつを左右から一網打尽に振り払うが、姿も切れた気配ももうなく、彼は舌打ちしながら両手ののびるやつを腰に戻す。そして真横のケイツを足蹴にすると、しゃがんでくるんと後転し、わら人形が刹那空中から一斉に包丁を振り下ろし着地したのから抜け出した。ケイツは声もだせずに池に真っ逆さまに落ちる。 
 すぐにスタンは立ち上がり、棒を持って構えると、じりじりと群れになって近づくわら人形達と間合いを取った。五体。
「五体?」スタンは自分で言って、小さく笑った。「五体も出しちゃってるぜ」
 マニラはにらんだまま、口元を歪ませた。「こんな調子じゃ、私に届かないわよ」
「ふふーん」スタンは挑発するように鼻で言った。そしてがらっと鬼気迫る表情に変わって、「もうだめだああああああああああああ!」と吠えた。そして、そのまま暫時動かない。意図不明なわずかな沈黙に戸惑う相手をみとめると、すぐさま彼は飛び出してわら人形達の懐に入り、一本のびるやつを抜くと、ようやく動き出した彼らの脇腹めがけて火花混じりのそれを一気に振った。二体の腹が焦げて切れ、無造作に崩れる。片腹を焦がした一体ともう一体が、揃った動きでスタンの首元に刃を振るのを、彼は顔をそっちへ向けると同時にのびるやつで受け止めて立ち上がると、それを払った勢いで身体をねじって二体の頭部に蹴りを入れた。そのまま振り向き、最後の一体が、背後から胴めがけて包丁を突き出してきた腕を、それを見ないで焼き切り落とす。先ほどの二体が揃って池へ落ちて、少しずつ沈んでいった。
 ケイツは意外と浅かった橋の反対側の水中で、赤い水にめをしばたかせながら、はっきりとそれを見ていて、頭の中が真っ白になってしまい、本当に口を開けたままポカンと立っていた。
「接近戦は、瞬間的な判断で身体を動かすんだよ、しかも集中してな」顔をこわばらせるマニラの元へ悠々と歩きながら、スタンは言った。「人間が脳の妄想でバラバラにそんな処理できるのは、手の数が限界だ、覚えておいたら役に立つかもしれないぜ?」そして、今度は彼女の首元にのびるやつを突きつけた。
「クリスタルは、どこだ?」
 マニラは、一瞬はっとして、スタンの方を見たが、すぐにぷっ、と吹き出すと、そのうち大声を上げてけたけたと笑い出した。
「何がおかしい?」スタンが眉をひそめると、彼女は笑ったまま、
「……だって、おかしいんだもの、あなたのことが……。『クリスタル』って、何の事かしら?」
「とぼけんなよ」
「思い出したわ、あなたの服。……そう『スタナー』ね、そうか、今は息子が継いだとは聞いたけど、まさかあなたみたいな、ただの乱暴な子だと思わなかったわ。あなたのお父さんは、患者に嫌な思いさせずに病気をあっという間に取り除く天才だって話だったけどねえ?」
「……」
「そして私は白昼夢を見ている? なるほど、それでも良いわよ? そういうことにしましょうか。その方が、私はとても幸せかもしれないからね……、このままずっと、ここでこうしていられるのなら。クリスタルなんか、あなたが勝手に探せば良いんじゃない? お父さんの力を受け継いでいるはずの、あなたの力で」
「……」ぐっと口を結んでから、スタンは、「俺はあいにく、『親父じゃない』んでね」ため息混じりに答えた。「もう一度聞く、クリスタルはどこだ」
「まだわからないの?」蔑みのまなざしでマニラは言った。「クリスタルよりも、お友達の心配をしたら良いんじゃない、って言ってるのよ?」
 叫び声がした。スタンははっとして、後ろを振り返る。
 死んだように動かずにいた社の触手が、また活発に動き出して池の中へ入り込んでいた。そして、水中で立っていたケイツの身体にまとわりついて、絡まり合ってぎしぎしと締め上げながら、木ぐらいの高さにまで伸びていた。
「ケイツ!」
「ス、スタ……」苦悶の表情を浮かべながら、ケイツは声を絞り出す。「こ……これは、どうせ夢、だからさ、おれの、……ことは、ほっとい……がああっ、ほっといて………っ」
「その武器をどけなさい」マニラが低い声で命令した。「私のことは放っておいて。でないと、あの子を潰す」
「……くそっ」顔をしかめるスタン。
「スタ………だああああっ!」ますます締め付けられ、身体の痛みに耐えかねてぶんぶん首を振るケイツ。
「ほら! どけなさい!」
 スタンは、苦い顔をして、彼女の首からのびるやつを離し、一歩ずつ後ろへ引いた。
「……スタン……」
 その時、きしみの音がぷつりと消え、かわりに割れんばかりの歪んだサイレンが響き渡った。女の表情がさっと消えて、何かにとりつかれたように、
「時間だわ」小さく呟いた。「――ああ、どうして昨日タマゴを買い忘れちゃったんだろう。ミチルがふくれて帰って来ちゃうわね。多分コンビニなら、今の時間でも空いてるなあ、そうだ、帰る前に……」そして、あさっての方向を見ながらゆっくり立ち上がる。「あいつらを、殺しておかなくちゃね」
 その隙に、スタンは彼女に背を向けて駆けだし、ケイツを締めていく触手の絡まりへ橋から飛ぶと、のびるやつを緩めて根本を一気に断ち切った。ただの気味悪い塊になって触手はゆっくりほどけて、ケイツもろとも崩れる。池の中に入って、スタンは触手の中から彼を引きずり出すと、肩で担いで池の畔の鳥居のあたりに歩いていった。
「ケイツ、大丈夫か?」真剣な顔でスタンが聞く。
「大丈夫だよ、自分で歩けるって」肩で息をしながらケイツは答えた。「それより、あの人が」
 社の方では、何もない池の上に、脈絡無く小型の紫色の車が浮いていて、マニラも水面に触れることなく、そこへ向けて空中を歩いていた。そして、彼女はその車に乗ると、エンジンをかけて、水面を池の反対側の住宅街へ向けて走らせ始めた。
「また追いかければいい」それを見ながらスタンが言った。「それに、探すのはそんなに難しくないね」
「なんで?」
「あのサイレン、音程は狂ってるけれど、消防車のだ。あれに反応してやつは出かけた。アポロさんの話だと、人殺しの原因は、自分の旦那と子どもが火事で焼け死んだことだろ? サイレンはそれに関係して出てきたはずだ。多分、そのうちどこかから火の手が上がるから、煙が見えてくるのを待てばいい。ヤツはそこにいる。普通の夢と大して変わらないさ、結局は夢ん中で踊ってるだけなんだよ」
「……」スタンから離れて、ケイツはその場に座り込んだ。「一つ、質問です先生」
「なに」
「どうして、おれを先に……? 別に何かあっても、ただ放出されるだけだから大丈夫って、言ったの、スタンじゃないか」
 のびるやつのボタンを押したり離したりして、心地を確かめながらスタンが言った。
「悪い夢を見たことがあるか」
「え? ……そりゃあ、あるけど」
「じゃあ、あのままおまえがぐしゃぐしゃにされてたら、どう目が覚めるかくらい分かるだろ」
「すっごい、おっかないだろうね」
「他人の精神に入り込むのは、自分の心に相当の負担をかけるもんだ。放出のされ方によっちゃあ、かなりダメージが来る。悪夢の何倍にもね。白昼夢破壊師になるんなら、本当に人の夢のなかにいることを好きにならなきゃならない。もしおまえに、今日のことで少しでもトラウマっていうか、そういうのができちまったら、それが心の中じゃあ露骨に出ちまうから、まともな破壊師にはなれねぇだろうな。
 俺は、自分の心を隠れ蓑に甘ったれるやつの、白昼夢をぶっ壊しに来たんだ。おまえの『夢』を壊すんじゃなくてね。それに――」
「それに?」
 池の方を見たまま、スタンは続けた。
「――仕事だからって、友達を見殺しにするやつには、まだ俺はなりたくないね。現実だろーが、夢だろうが」
 それを聞いて、ケイツの顔がぱっと明るくなる。
「スタン……」
 彼のいた方を向くと、そこにはもう姿がなく、さらに、腰のあたりがぐいっと引っ張られてからだが持ち上がった。
「煙が見えた。行くぞ」
「だからその小学校低学年並みの扱い止めろって!」
 再びからだを必死にばたばたさせて抗議するケイツ。

*


 狂ったサイレンが、もうずっと大音響で鳴り続けている。
 カラン、と玄関の踏み石に、血の付いた包丁と、黄色い100円ライターが落ちた。
 ウェーブのかかった長い髪の女性が、どんどん血のあふれてくる胸を押さえながら、マニラの前で倒れている。そして、うっすら微笑むマニラの瞳には、2階建ての白い家が、一階の壁をぐるりと炎で染めている光景が映っていた。彼女の横には、真っ黒いポリタンクが3つほど置かれていた。それをそのままにして、マニラはその家をあとにすると、その隣の水色の家、自分の夫と、自分と、自分の息子の名前の書かれたプレートがある塀の入り口に立った。変わった様子のない自分の家に満足そうに頷くと、玄関のドアが開いて、小さな男の子が少しおぼつかない足取りで彼女のもとへ走ってきた。男の子はそのまま足に抱きつく。
「ねえ、ママ、ママ」男の子ははしゃいでいた。「大変だ、お隣のおうちが、ブリアンちゃんちが、すっごくすっごく燃えてるよ!」
 マニラは男の子を優しく引き離すと、しゃがんで、「大丈夫よ。これからブリアンちゃんちは、急なことがあって、遠くへ、すっごく遠いところへお引っ越しすることにしたんだって。そのためにはおうちを燃やさなきゃいけないの。だから心配ないわ……」
「えー、お引っ越ししちゃうの! どうしてどうして?」心底驚いたような男の子。「ブリアンちゃんと、もう遊べないの?」
「そんなことはないわ。きっと時々、こっちに戻ってきて、ミチルと一緒に遊んでくれるよ。火が消えたら、さようならのあいさつしに行きましょうね……」
「うん!」男の子はにこっと頷いた。
「ほら、おうちへ戻るわよ。ママちゃんとタマゴ買ってきたからね。朝の目玉焼きでしょ、お弁当にも、たくさん玉子焼きを……」
 二人が玄関へ戻ろうとすると、背の高い壮年の男性がパジャマ姿で開きっぱなしの玄関から出てきた。
「おい、隣、どうしたんだ?」物珍しげに、ごうごうと燃えさかって二階の壁まで炎が達している白い家を眺めながら、男が聞いた。
「たいしたことないわ、あなた」苦笑するマニラ。「まるまる一軒焼けて、みんな黒こげになっちゃうだけ」
「ああ、なんだ、そうかあ」納得したように顔を明るくして、男性は塀の脇のポストから新聞を取り出した。「見に来て損したよ、はははっ。さあ、中に入ろう。朝ご飯朝ご飯」
「そうね……」
 男性に肩を抱かれながら、男の子を連れてマニラは玄関へ歩いていく。「そうそう、明後日さあ、結婚記念日だから……」

 その時、
「――待てよ」
 背後で、誰のものか分かる、だが彼女にとってはかき消したい声が響いた。男の子と男性は玄関を向いたままで、マニラだけが冷たい表情に変わって振り向いた。
 塀の向こうに、スタンとケイツが立っていた。
「吐き気のする自作自演はもうやめとけ」スタンが言い放った。両手に握ったのびるやつには絶えず火花が走っている。
「……とてもいま、幸せな気持ちなのに、どうして邪魔をするの」
 言うと、彼女は鬼のように目を開いた。「私たちに近寄らないで!」
 すると、少年二人のいる路地の左右から、猛スピードで赤ランプを回しながら消防車が挟むようにして突っ込んできた。スタンはケイツを掴むと、のびるやつを床にたたきつけて飛び上がった。あっけなく二台は派手な音を立てて正面衝突する。それから彼はマニラの家の庭に着地して、ケイツをそこに放り出すのと同時にマニラの方へ駆けだした。「『私たち』? 都合の良いことをほざくな!」そして、彼女の、
 足下で背を向けて立っている男の子を両断した。
「――!」顔色を失う女。
「なっ!?」ケイツも面食らう。
「――てめぇ以外は、生きてさえいねー」
 男の子は、何も言わないで、物体のように無造作にぱっくりと縦に割れて、ごろんと倒れた。切り口はかまぼこのように真っ白だ。素早くマニラの後ろへ回り込んだスタンは、彼女の隣に立つ男性を突き上げるように斜めに、のびるやつで切り裂く。
「やめてえっ!」悲痛に叫ぶ女。
 だが、叫びもむなしく、男性の身体は切れ目から上がすーっとずれて、彼女にもたれかかるようにして無惨に崩れ落ちた。切り口はやはり白かった。
「てめぇ勝手なただの小道具なんだよ!」
 そして直後、ガスバーナーに点火するように一瞬で、マニラの家が業火に包まれた。
 いつの間にか隣の家は元通りになっていて、一台の消防車が家の前の道で、大勢の野次馬に囲まれながら、あの音程の壊れたサイレンを鳴らしていた。
 ホースを持って、銀色装備の消防士達が走ってくる。男の子と男性の張りぼては消えていた。
「――放水!」
 消防士達が声と張り上げて、家全体を喰らうように燃えさかる炎へ向け、ホースから頼りない水を拭きだす。
 呆然としながら、おぼつかない足取りで、ふらふらとマニラが家に近づこうとするのを、消防士の一人が腕を掴んで引き留めた。
「奥さん! 中に入っちゃ駄目だ! もう駄目だよ!」
「なかに……こどもと……おっとが……」震える声が、開いたままの口から漏れる。
 その様子を庭の片隅で、スタンは腕を組んで立って、ケイツは膝をついたまま事態が飲み込めない風で見ていた。
「スタン、これは……」
「押さえ込んでいた記憶を、一気によみがえらせた。これが――『現実』だ」
「お願いです! まだ中に……! 助けて……」消防隊員に、すがるように女が言う。
「助けてやりたいけれども、これじゃあ近寄れないんだよ! まずは火を消すから、奥さんは気を確かにしていなきゃ!」彼女を押さえ込むようにして、隊員が諭した。
「でも、ミチルがあっ、ミチル! あなた! 出てきてよおっ!」
 その時、動揺する彼女の動きが、突然凍り付いた。隣の家の少し高い塀の向こうで、ニコニコしながらどこかを見ている隣の家の女性の、さっき殺したはずの女の、そのまさに顔の方を彼女は向いて、一瞬だけ全く動かなくなった。そして、わなわな身体を震わせながら、火の勢いの止まない自分の家を見る。
「まさか……まさか……! ミチルうっ! あなたぁっ!」
 身を裂かれたようなマニラの叫び声に、ケイツは思わず顔を背けて目をつむった。スタンは、どうでも良いドラマでも見ているように、何の感慨もない表情で黙って鼻息をついた。

*


 炎がようやく消されたと同時に、すっ、と消防隊や野次馬達の映像が薄れて、消えた。サイレンの音も聞こえなくなる。かえって耳鳴りのするような静寂の中で、マニラの家は湯気と煙を上げながら、真っ黒な細い骨組みだけになった。
 憔悴しきった様子で、ぼんやりとそれを見上げている彼女の元へ、スタンが一歩一歩近づいていった。
「こんな理由で、人殺しなんかできるもんなんだ」皮肉っぽく言って、笑う。「随分ひどい逆恨みじゃん?」
 涙で真っ赤にはらした感情あふれる目で、マニラはスタンをぎろっと睨んだ。
「……これだけで、そんなこと、するはずないわ。私は、とにかくあの後、生きているのが嫌になって、でも死ぬのも怖くてできなくて、お酒を飲んで毎日、やりすごしていった。そのうちそれが、偶然手に入った大麻になって。それが止められなくなって、ボロボロになったわ……。お金も底をついて、すごく自分が惨めだった。
 そんな時、あの女と街ですれ違ったの。彼女、その後友達かなんかと私の話をし始めて……笑いながら……、私のことを自業自得だ、って言ったわ。そして、あっさりとこう続けた。『私、あの奥さんが出かけた時あたりから煙が上がってたの、見たんだけれどね、多分誰かが通報してくれてると思ってね』って……! あの女よ。あいつがミチルも、主人も見殺しに、殺した! だから私、あの女にも同じ気持ちを味わわせて、旦那も娘も殺してやって、それからあいつも殺すつもりだった。捕まってしまったけれど、今でも気持ちは変わってなんかないわ。
 あなたみたいな子どもになんか、分からないでしょうね、愛する人を二人も奪って、私を奈落の底へ突き落として、それにほくそ笑んでいる女を見つけた時の、あのすべてががらがらと崩れ落ちて、代わりに憎しみが、爆発していっぱいになる瞬間が……」
「分かるわけないなあ、人殺しの気持ちなんか」
「ええ、分かってくれなくて結構よ」スタンを睨んだまま、女は薄笑いを浮かべた。「そして放っておいて頂戴。ずっとこの夢の中にいたいの。ここなら、目覚めてしまったらもう二度と叶わない幸せを、ずっとずっとかなえてくれる……」
「甘えてんじゃねーよ」
「甘えてる? ……ふふふっ、それで結構だわ。生きていることに、もう何も意味無いもの。みんな取り上げられてしまった。家族も、嬉しいことも、楽しいことも、復讐することさえ、現実じゃ許してくれなくなった。甘えさせてよ、私を――」
 スタンは、ため息をつくと、腰の両脇からのびるやつを抜いて、彼女の目の前にしゃがみ込んだ。そして冷ややかに笑んで、
「ばーか」
「何とでも言ったらいいわ、どうせ私は、世間からそういう風に言わ」
「ばーか」
「そうね、でも、私は殺さずにいられなかった。それしかか」
「ばーか」
「ええ、バカよ。こんな事をしたって、喜ぶ人は誰も」
「ばーか」
「何が言いたいの、あな」
「ばーか」
 次第に、マニラの表情がこわばっていく。彼はそれを気にすることなく、平然と繰り返していった。
「……確かに私は、罪のな」
「ばーかばーか」
「けれど、あの女は、人間として最」
「ばーか」
「あなた、本当に子どもね。延々とそう言ってどう」
「ばーかばーかばーかばーか」
「……」
「ばーかばーかばーか」
「……あなたに言われたく」
「ばーかばーかばーかばーか、ばーかばーか」
「スタン……」彼の行動に戸惑うケイツ。「なんでそんなこと言ってんだよ」
「あなたに」マニラは、次第に声とからだを震わせ始めた。「わかってたまるもんですか」
「ばーかばーかばーかばーか、ばーかばーかばーかばーかばーか」からかうように、大げさにいたずらっぽくたたみかけるスタン。
「私は、私は……!」
「ばーかばーか、ばーかばーかばーかばーかばーかばーかああ!」
「――わたしわあぁっ!」
 鬼のような形相で女は叫び、思いもよらない早さで飛び上がるようにスタンへ体当たりした。その両手には、包丁が握られ、それがスタンの胸元へ突き刺さっていた。彼は、にやっと笑ったまま何も言わない。女はそのまま包丁に力を込めて、スタンを前へ押し倒した。一瞬間があって、唖然としていたケイツが、
「スタン!」彼のもとへ駆け出す。
 女は倒れたスタンの脇に跪いて、一心不乱に包丁で彼のからだを幾度も刺した。「わたしはぁっ、ちがう、バカじゃないっ! バカじゃないいいいっッ!」その度、彼のからだがビクッ、とけいれんする。
「や、やめてください!」彼女の腕を掴んで必死にケイツはスタンから包丁を逸らせようとするが、彼の想像以上に力が強く、あえなく彼女は止まらない。「やめろ! やめないとスタンが!」
「バカじゃない、バカじゃない、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、みんなみんなみんなみんなみんなみんな殺してやる殺してやる!!」彼女の戦慄するような表情の中には、狂喜の様子さえ感じられ、ケイツは頭の中から血の気が引いた。
 その時、マニラの動きがぴたっと止まった。彼女の視線が釘付けになった先を追って、ケイツも自分の目を疑った。
 そこには、あるはずのスタンの顔がなかった。彼女が刃を突き立てていたからだも、ベルトづくしのスタンの衣装が上下、ペシャンコになって残っているだけだ。二人はそれぞれ辺りを見回す。すると、真後ろの空中から、
「思い知ったか、てめぇのまだ凝りねー自尊心」挑発するようなスタンの声。
 ケイツが振り返ると、見慣れた普段着、Tシャツにナイロンのパンツ姿のスタンが目前に飛び降りてきた。
「とっくにわかってんだろ? ここにいたって、何にも満たされやしねぇ。そして、あんたも自分のことを分かってないぜ。家族を殺されたのは誰のせいかしらねぇが、あんたが堕落したのは誰のせいでもねーよ、殺さずにいられなかった、なんていう『運命のせい』でもない。選択したのは、すべてあんただ。そこから目をそらして、ここに逃げて自分だけ正当化しやがって――」
 そして、地面を蹴って飛び出すと、マニラがそれに反応して逃げる前に、一気に彼女へ近づいて、逆手に握ったのびるやつの一本を、彼女の腹へ勢いをつけて振り下ろした。のびるやつの光の刃はそのからだを貫通し、地面にまで突き刺さる。恐怖と言葉を超える衝撃に、からだをこわばらせるマニラの耳元で、スタンがそっと囁いた。
「――本当にあんた、クズだな」
「……!!」
 彼女は愕然とした表情で、虚空にかっと目を見開くと、力無くその場に身を崩す。
 その時視界に、どこかから日光のようなあたたかい光が差し込んできた。スタンはしめた、とばかりに彼女からのびるやつを抜いて、鞭型に切り替えたそれを地面に打ち付けて高く跳ねる。
 辺り一帯を見回すと、あの池の社のあった部分に、丁度同じくらいの大きさの、巨大な結晶のようなものが低く浮かんでいて、眩しいくらいに輝いていた。その表面の大部分を、黒くてつやのある物体が覆っていて、光の多くを遮っている。彼の目がそれをとらえると、会心の笑みが浮かんだ。何度かのびるやつを地面に振り下ろし、豪快に街並みを吹き飛ばして、からだを大きくバウンドさせながら、あっという間に結晶の上空まで飛来すると、
「さあ、こんな夢、とっとと」
 橋のたもとに着地して、そのまま走り出し、巨大な結晶めがけて両手にのびるやつをかざし飛び込む。スパークさせながら強烈に二本の鞭で結晶を殴り、その反動で舞い上がり、結晶の真上を飛び越しながら、からだを一回転させ、落下際に再度のびるやつを喰らわせて、
「ぶっとばしちまえよ!」
 池の水面の上に音もなく立った。左右ののびるやつの柄をつなぎ、もとの棒に戻した瞬間、スタンの背後でがらがらと軽快な音を立てて、結晶を覆っていた物体だけがはがれて、周囲へこぼれ落ちた。
 その瞬間、一気にクリスタルから閃光が走り、辺り一帯が突風とともに真っ白になった。それをかろうじて見るスタンの細まった視界に、うっすらと黒く映る家々の輪郭や、山や、電線の影が、風と一緒にちぎれるように吹き飛ばされていくのが映る。風が立てる轟音がしばらくとどろき、やがて、少しずつ激流は衰えていった。
 眩しさが消え失せると、後には真っ白な世界が残った。クリスタルは透明一色になり、荒く形作られた無数の面のいくつかがきらきら優しく照っている。白い床の上で、さっきまで付着していた黒いものが散らばっていて、ゆっくりと吸収されるように地面の中へ沈んでいった。その中で、一つだけ、沈まないで、しかもぴくぴくと生物のように動いていることにスタンは気づいた。それに少しずつ歩み寄る。
 黒いもののかけらは、ゼリーでできているようななまめかしい動きで、ゆっくりとクリスタルの方角へ近寄っていく。何か音を発していたので、スタンは首をかしげながら耳を傾けた。黒いものは、延々と、
「機能ほぼ損失のため、修復処理か保全処理かの選択のための仮想試行中、機能ほぼ損失のため、修復処理か保全処理かの選択のための仮想試行中、……」と繰り返した。
「なんだ……これ」スタンは眉をひそめながら、それを足で踏みつぶした。音はしなくなって、ぐちゃぐちゃになったそれも地面へ吸い込まれていった。
 気配がしたので、振り返ると、進まない表情をしながらケイツが歩いてきた。さらに向こうには、倒れたまま動かないマニラが倒れている。
「スタン……、あの人は、あのまんまでいいの」
「ん、ああ。やつの精神を出られないようにしてたものが無くなったから、これくらいの衝撃ならそのうち勝手に夢から覚めるだろう。晴れてスッキリ解決ってわけだ」
「そうか……」
 俯いたまま、元気なく言うケイツを見て、スタンは一瞬表情を曇らせたが、すぐにもとの振る舞いに戻って、彼の肩をぽんぽん叩いた。
「何だよ、へこんじゃって。これくらいの仕事なんて、破壊師ならいくらでもあるぞ? 今からそんな調子じゃ――」
「おれ」ケイツがぼそっと言った。「スタンの弟子になるの、やめる」
「……」スタンは表情から笑顔を消して、静かに頷いた。「そうか」
「スタンが、先代、いや、おじさんと違ってるのは、分かってたつもりだった。でも、でも――」スタンの方を見るケイツは真顔だった。「スタンのやり方は、間違ってるよ。人の白昼夢を壊すのでも、もっと人を傷つけない、別のやり方があるだろ? なのに、スタンは、人の心を、もてあそんだあげくに、……『本当に壊してしまう』みたいじゃないか! 間違ってる、スタンは」
 スタンは、段々感情をあらわにするケイツの非難を、黙って聞いていた。そして、スタンに背を向けて、ゆっくり歩きだすと、つとめて明るく言った。
「おまえの言うとおりだよ。俺は、親父みたいに『人のために人を助けている』んじゃない。『自分のために人を助けている』んだ。人の心の中を思いっきり壊してまわって、世の中じゃ同情の的になってる、夢遊病の奴らを問答無用でなじるのが気持ちいい、ただそれだけで白昼夢破壊師をやってる。……おまえ本当は、親父に診てもらったことがあるな? 事務所じゃないどこかで」
 下を向いて黙っているケイツ。
「まあ、それはどうでもいいよ。どっちにしたって、おまえから見れば、最低の部類の破壊師だろうな……。悪かったよ」
 でもな、とスタンは続けた。背中を向けたままだった。
「――俺はおまえに、やっぱり嘘はつけなかったんだ。でも楽しかったよ。ひとりぼっちじゃない、って感じが、なんかすげえ久しぶりでさ」
 ケイツがはっとして顔を上げる。スタンは、少し寂しそうに笑って、こっちを振り向いていた。
 彼の視界と意識は、そこからうっすらと、薄れていった。

*


 ケイツが目を開けると、壁により掛かっていたアポロがおや、と声を上げた。
「終わったのかい?」言って、まだ目を閉じたままのマニラの脇へ動く。
「そう、みたいです」浮かない顔のままケイツは答えた。ちょっと長かったなあ、とアポロは腕時計を見ながら呟く。
 もしかして、スタンは、本当は自分が夢の中まで来てくれたことがとても嬉しかったんじゃないだろうか、とケイツは思った。今まで、誰にも言えない仕事をスタン一人で背負って、ずっとやって来たのだ。しかも大きな肩書き付きで。勉強と一緒で、友達と一緒にやった方が、はかどる、というよりは、楽しい、心強い、のではないだろうか、と。
 スタンの横顔を見ていると、ぱちっ、とその両眼が開いたので、あわてて目をそらして女の方を向いた。すると女の方も目を覚ましたので、またあわててアポロに視線を向けた。
「おっ、お目覚めだな」彼はマニラのわきにしゃがんで、彼女の顔をのぞき込んだ。「クレイツさん、僕が分かりますか? 覚えてますよね」
 彼女は疲れた表情だったが、確かに頷いた。
「これから、警察病院へ向かいます。それで、あなたの状態をチェックした後、一日休養してもらって、それから拘置所で取り調べを行います。いいですね」
 女はゆっくり、もう一度頷いた。
 スタンは立ち上がると、伸びをして、リラックスしたような様子で彼女に笑いかける。「がんばってね、マニラさん」相変わらず小馬鹿にしているようにも見えた。
 それに対し、きっ、と彼女はスタンに怒りの視線をぶつけると、煮えたぎるような声で、
「言葉……そっくり返すわ……」こう言った。「……本当にクズね、あなた」
「……へえ」しばらく無表情で彼女と目を合わせた後で、彼はふっ、と笑うと、軽い足取りでドアへ歩いていった。「ま、それでもいいけどね。……子どもは褒めた方が伸びるんじゃなかったっけ?」肩をすくめてそう話すと、ケイツと特に話をすることもなく、先に一人で部屋を後にした。
「あっ、スタン」彼が立ち上がって、後を追おうとすると、
「あー、ケイツ君」アポロが呼び止めた。「僕はこのままこの人と下の車に乗るから、ロレル刑事にそう伝えておいてくれるかい?」
「はっ、はい!」言って、今度こそ後を追おうとすると、
「……あなた、ケイツ君って言うの?」女性の方が今度は呼び止めた。びくっと立ち止まって、油が足りないみたいにおっかなびっくり振り返るケイツ。
「そ、そうだすが、ななな、なんのござしき、ございましょう」
「ごめんなさいね。怖いでしょう、私のことが」打って変わって、彼女は落ち着いた顔つきと声色だった。
「いいえ、め、べっそうもないです!」図星のケイツ。
「一つお願いがあるの」
「は、ははあ、お願いでございまするか」
「ええ、是非」マニラは微笑んで、「あの子――『スタナー』に、私の代わりにお礼を伝えてくれないかしら」
 ケイツは耳を疑った。目を丸くして、信じられない、という風に彼女を見た。彼女は微笑みを浮かべたまま、一つ頷いた。目元に、うっすらと涙がにじんで、今にもこぼれそうだった。声を震わせながら、こう続ける。
「……助けてくれて、ありがとう、って、あなたに伝えて欲しいわ」
「……」
 しばらく、彼は言葉が出なかったが、見る見るうちに晴れ晴れした顔つきになって、頷くと、威勢良く返事した。
「――伝えておきます!」

*


「ばーか」ダフネが呆れたように声を上げる。「そして人間的にクズね!」
 皮肉を込めてそう言うと、仏頂面で事務所のソファに座って、テーブルに置かれたを麦茶入りのコップを見つめているスタンの背後を行ったり来たりした。
「ああ、かわいそうにケイツちゃん。いたいけでかわいらしー夢をこうやってスタンに木っ端微塵にされたのよ。夢を壊すつもりはないって、思いっきりやってるじゃない。どうしてあんたはこう、気配りってもんが足りないわけ? フローディ姉さんはそんな風に育ててないはずよ」
「黙っててよ、おばさん」むすっとしたままスタンが麦茶を一気に飲む。「ケイツをだましたくなかっただけだ」そして乱暴にコップを置いた。「あいつが持ってたのは、間違った夢なんだよ。それを見逃すなんて――」
「覚えときなさい、世の中には、ついていい嘘ってもんがあるの」反対側のソファに座って、ダフネは目をそらしているスタンをじっと見ながら、「それをうまく使って、みんなお互いを大事にしていくって事。本音ぶつけてりゃいいなんて、大間違いよ。わかった? たまには、『逃げなさい』。そして『目をつぶるの』。――それを覚えないと、破壊師としても、人間としても大人になるのは無理ね」
「分かった、分かったよ!」苦い顔をしてスタンは立ち上がると、「お望み通り、逃げたあと目をつぶってやるさ。――ばあや、昼寝するから六時に起こして!」忌々しそうにそう吐き捨て、事務所の奥のドアへ向かって歩きだした。
「若さん」窓のそばの観葉植物の手入れをしていたばあやがそれを、優しく呼び止める。
「なに」
「昼寝もいいですけれど、お友達は、きちんと下まで送ってあげなさいね」
 にっこり咎めるばあやに、スタンは口を尖らせて、
「……わかってるよ」言うと、づかづかと事務所の入り口へ向かう。
 途端に、いきなりその入り口のドアが思い切り開いて、ものすごい形相のケイツが現れたので、スタンが思わずぎょっとした。ばあやとダフネも驚いてそちらに目を向ける。
「ばあやさん!」切迫した表情で叫ぶケイツ。
「わたし? ……なんでしょう?」さすがに少し困惑するばあや。
「トイレはどこでしょうか! さっきジュース飲み過ぎました!」
 少し沈黙が流れてから、ようやくばあやが、
「……奥の入り口を入って、すぐにあるドアですよ」と気圧された様子で言うと、ありがとうございます、と言いながら駆け足でケイツは事務所の奥へ消えていった。目を点にするスタンとは対照的に、ダフネには大うけだ。
「ふふ、はははは、ケイツちゃんったらもう最高、かわいすぎてうちに一台欲しい! トイレって、トイレかあ……いやいや……」
 しばらくして、また勢いよく事務所の奥のドアが開いて、真剣な表情のケイツが出てきた。また三人の目が注がれる中、彼は真っ先にスタンの方を向いて、
「スタン!」クイズに答えるような引き締まった発音で呼びかけた。
「な、なんだよ」
 面食らった顔のスタンに、ケイツははっきりと宣言した。
「――やっぱりおれ、おまえの弟子になる!」
「……え?」さらに面食らうスタン。
「?」意味が飲み込めていないダフネ。「意外と気分屋なの?」
「え、だって、おまえさあ、俺は間違ってるって」
「そう、スタンは間違ってるよ。でも、……マニラさんから、スタンに代わりにお礼を言っておいて欲しいって、言われたんだ。しかも、嬉しそうに、泣いて」
「……」スタンはケイツを見つめたまま黙っている。
「そこで気づいたんだよ。やっぱりスタンは『スタナー』で、みんなおまえのことを待ってるんだって。自分では戻ってくられないで苦しんでる人を、夢から引きずり出す、すごい才能がおまえにはきっとあるんだ。間違ってるのは、そう、『やり方』だけ……」そこまで言って、彼はスタンの前まで来ると、さっと右手を差し出した。
「だから、おれが弟子になって、おまえの『やり方』を壊してみせるんだ」
 そして、そのまま頭を下げた。
「――お願いします! おれを弟子にしてください!」
 ダフネはソファに座ったまま、お手上げ、という感じでばあやの方を向いた。
「38分前に弟子になって、その29分後に弟子をやめて、今また弟子になるって事?」そしてため息をつく。「ついてけないわ」
「ふふふふっ」ばあやは微笑みながら、片や頭を下げ、片やそれをキツネにつままれたように見ている少年二人を眺めていた。「それが子どもの力です」
 スタンはただただケイツを見下ろしていたが、やっと、自信たっぷりの笑みを浮かべて、その右手を自分の右手で強く握った。顔を上げてほころばせるケイツに、言った。
「やれるもんなら、やってみればいいさ」



【クリッ! 1st.Cr!……終わり】